2025.9.1

御城印部活動報告(10) 
和歌山城/築城四百四十年

2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」
豊臣兄弟ゆかりの城めぐり ♯1

🏯『和歌山城/築城四百四十年』

和歌山県和歌山市一番丁3

豊臣秀長築城四百四十年

何と…御城印部の活動は名古屋城以来の2年半ぶりです。当時の大河ドラマと言えば「どうする家康」だったのですが、来年は久しぶりに「豊臣兄弟!」ということで戦国時代が描かれることになり、出張の合間を縫って活動再開です。
豊臣秀長築城四百四十年
天正13年(1585年)、紀州を平定した羽柴秀吉は、副将軍として参陣していた弟の秀長に築城を命じ、黒田孝高、加藤清正と並んで、築城三名人の内のひとりとされた藤堂高虎を普請奉行として、紀ノ川河口部の岡山(現在の虎伏山)山頂に1年で城を完成させています。

豊臣秀長築城四百四十年

この際に「若山」と呼ばれていたこの地が「和歌山」と改められたそうです。
豊臣秀長築城四百四十年
藤堂高虎は主役の豊臣秀長の重臣ですから、ドラマでもずいぶん活躍するでしょう。高虎が築城に関わった城は20を超えると思われますので…御城印部もまた頑張らなくてはいけません。
豊臣秀長築城四百四十年
江戸時代になると、徳川家康の十男・頼宣が入城し紀州徳川家が成立し、尾張、水戸と並んで御三家と呼ばれます。紀州徳川家と言えば暴れん坊将軍こと8代将軍吉宗ですが、松平健が馬に乗って疾走する白い砂浜は和歌山ではないそうです。

豊臣秀長築城四百四十年

 

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和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)山頂に豊臣秀長によって建造された和歌山城は、北部を流れる紀の川を天然の堀としていました。

このたび、和歌山市観光協会様より和歌山城築城440年記念版御城印の販売が開始されましたが、その紀の川の源流である川上村吉野林業とのご縁で、御城印にはキトスムシートシリーズ「吉野杉の紙」をご採用いただきました。

割れることなくインクジェットプリンターでもプリントが可能な「吉野杉の紙」ですが、今回の記念版は豊臣家の家紋である「五七の桐」紋が一枚ずつ直接押印されていて、毛筆による手書きの御城印となっております。

JR和歌山駅中央改札口を出てすぐのエスカレーターを降りた「わかちか広場」にある「観光交流センター」にて販売中ですので、ぜひお立ち寄りください。(販売期間:2025年12月21日まで)


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